京都と、美しいものと、日常に関して考え事。

えー、そんなわけで、京都にいってきたわけですが。

1日目:上賀茂神社下鴨神社〜青蓮院門跡
http://d.hatena.ne.jp/amicotower/20080514/p1

2日目:大原三千院詩仙堂曼殊院
http://d.hatena.ne.jp/amicotower/20080518/p1

3日目:清水寺〜無鄰庵〜南禅寺
http://d.hatena.ne.jp/amicotower/20080531/p1



2日目、詩仙堂から曼殊院までの道のりを歩きました。暑くてひぃひぃ言いながら歩いて、15分か20分くらいだったでしょうか。
この地域は「歴史的風土保存計画」とかなんとかに指定されているらしく、普通の住宅街なはずなのに、とにかく町並み(町というよりは山の中野住宅地といった雰囲気)が美しい。
なんというか・・・決して装飾が華美なわけでも、おしゃれなデザインでもなんでもないのに。普通の日本の家なのに、佇まいが、美しいのです。

詩仙堂曼殊院の美しさにも心を打たれながら、わたしは考えた。

ここは京都である。詩仙堂曼殊院も、京都の、観光地。お寺。非日常。それは美しく、おそらくアートと呼んで差し支えのないものだと思います。
そして「歴史的風土保存計画」に属する町並みも、一定の特殊な縛りをうけてこそ実現した特別な美しさ、であると思う。

でも、アート、とか、美しさ、とかは、「非日常」「特別」であるべきなのかしら?

もちろん非日常の領域に、アートや美しさが存在するのは悪いことでは無い。良いことと思います。
でも、日常の中にもあればいいじゃない。アートも、美しさも。

もしかしたら、日常の中にあるべき「アート」や「美しさ」を、「デザイン」が今担っていてくれているのかもしれないけれども。
でもそうだとしたら、「デザイン」の領域はもっと広くていい。
スーパーにものを並べることだけじゃなくて、広告やプロダクトデザインとかだけじゃなくて、もっともっと、システムとして「日常の中の美しさ」を作り出して行って欲しいの。そういう力を持つものだと思うから、デザインって。

小さなもの。それを使う人の生活。24時間、全ての時間と空間が、もっと素敵でいいと思うし、もっと素敵になれるとわたしは思いました。

念のために言うと、別に日本中全部「京都みたいになってほしい」ということでは無いです。それぞれの地域の特色があっていいと思う、むしろ右へならえーな感じの変な都市計画はいらない。どこの町も一律的にキレイな町並みになるのはどうかと思います。

自分でもまだごちゃごちゃしているため、何が言いたいのかわからない文章になってしまいましたが、京都でわたしはこんなことを考え、自分は何ができるかなぁ、とぼーっと考えておりました。

ではでは◎