首都高のあかり

甲州街道と首都高は、丁度新宿から、わたしの住む世田谷区あたりまで、
上下に並走しているのです。
だからわたしはずっと、首都高の下を走って帰ります。


大学時代の3年間、バイト帰りに首都高をタクシーで走っていました。
わたしはあの時間、空間がとても好きだったのです。
SFみたいな都心の風景から、だんだんねむる住宅街に移り変わっていく車窓の風景も、
密閉された狭い車内の、妙に密度の濃い、静かな空気も。


車の中から、ハイスピードで通り過ぎていく「下高井戸スカイコート」の看板を目で追っては、
いつかあの町に住むんだ、と憧れていました。

今は「下高井戸スカイコート」の看板を目指し、
その看板がすぎたら、もうすぐ左折の合図。
そしたらそこはわたしのホームグラウンド。


もう2度とあの首都高を走ることは無いように思うし、
あの風景と空間に郷愁を感じるのも事実です。

でも、あの時走った道の下を今わたしは走っていて、それがたまらなく気持ちいいんだ。



「あの時走った道の下を今わたしは走っている」 東京ひつじタワー2 より


首都高が大好きなことについては散々言及しているけれども、
また住む場所が変わって、今、わたしと首都高はこのブログの文章とは違う関係になっているので、もう何度目かわからないけれども、書きます。



わたしの家の、トイレの小窓から、首都高のあかりが見える。

その小窓はたいていいつも開けてある。何故なら、外が見えて気持ちいいのです。

晴れた昼間は、お隣の大家さんちの庭のわしゃわしゃ茂った木々が美しい。少し窓に顔を近づけると、青い空も見える。

雨の日は、雨が窓枠からしたたるのが見える。
我が家は全体的に「外の雰囲気」にものすごく影響されて毎日表情を変える家なのだけれども、雨の時は特に陰鬱で淋しい雰囲気になる。
それもまたいいのだけれども。SKETCH SHOWの"wiper"*1なんかがよく似合って。


そして夜は、真っ暗である。
小窓のむこうに目を凝らすと、お隣の庭の木々の、真っ暗なで確かな存在感の、そのはるか上の方に、オレンジ色のあかりが2つほど見える。


それだけ。


それだけだけれども、その光景がわたしは大好きなのだ。この家の数有る「大好きな風景」の中でも、5本の指に入るくらいに。




「首都高のあかりに、手が届かないよ。」

つい数年前まで日常だった、大好きな大好きな首都高の景色は、今は非日常。




わたしは免許を持ってない。(夫も持っていない。)
でも本気で首都高を走ろうと思えば、ちょっとした覚悟と、お財布と、カメラとiPodを持って、タクシーの運ちゃんに「ちょっと首都高を端から端まで往復してください」と真夜中に言えばいいのだ。
そして明け方に、太陽が登るのを見ながらレインボーブリッジに突っ込む、の。


たぶんわたしはいつかそれを実行すると思う。
でも、今はいいや。
今は、毎日、手の届かないところにあるオレンジ色のあかりを眺める、そういう日常でいい、というかそういう日常、が、いい。




……なんの境界線も無く限りなく自由だったあの頃とは違って、今は日常と非日常の間に、境界線が薄ぼんやりと存在する。
その分だけ「非日常」はあの頃より2割増でその魅力を発現させるだろう。
そんな非日常に飛び込むための「ちょっとした覚悟」には、きっかけが必要だ。



わたしはそのきっかけが訪れる時を、一方で自分の手で手繰り寄せつつ、もう一方ではとても冷静に他人任せで待っている。
すぐそこに控えてくれているオレンジ色の非日常を眺めながら、歯を磨きながら、待っている。

*1:SKETCH SHOWは2002年、元YMO高橋幸宏細野晴臣の2人が、YMO以来初めて結成したバンド。wiperはセカンド・アルバム「LOOPHOLE」の2曲目。