サニーデイ・サービスの再結成、そして今日も西新宿のビルとビルの間を響いては、舞い上がる音。

7月の最終週だというのに苗場にいかず、なぜかわたしは東京にいます。あいもかわらず、新宿にいます。
魂はときおり苗場に飛ばしつつ(ボビー!!)、でもわたしはサニーデイ・サービスのことを考えている。


再結成だって。


昔、わたしはサニーデイ・サービスのことをそんなに好きになれなかった。
嫌いではなかったけれど、なんとなく受け入れられなかった。
その理由を、人の言葉を借りてわたしは知ることになる。


サニーデイの音は、幸せすぎて、なんだかむかつく」


確かにそうだ、とわたしは思った。だから好きになれなかったのだ。
音楽に、「あたたかく真っ暗な泥の中」または「泥の中に指すひとすじの光」のどちらかを嗜好かつ指向していた当時、
切ない歌詞もひっくるめて、あまりにも「光の中」のようなサニーデイの音楽は、眩し過ぎた。


だがそんなわたしも、いつからか、サニーデイが好きである。大好きである。
あの歌詞が、音が、声が、全て。ほんと、涙が出るくらいに。
この家の、今わたしが机に向かっている和室は、すごーくサニーデイの音が似合う。
きっと、サニーデイの面々は、こんな和室に住んでいたことがあるに違いない、とわたしと夫は妄想した。


再結成は、とても嬉しい。と同時に、再結成につきものの「不安」もあり、複雑ではあるけれども。
大好きになってから、はじめて聞くサニーデイの音。どうなっているんだろう。


解散から、8年がたったのか。8年前といえばわたしはまだ15、6歳だよ。おいおい。
彼らの8年と、わたしの8年は何の関係もないけれども、でも同じ8年である。


どんな8年だった?
わたしの8年は、今日に限っては、こう言うべきであろう。


「8年で、サニーデイ・サービスを、愛することができるようになりました。そんな8年でした。」


変わるもの、変わらないもの、色々あるけれども、今日もわたしはイヤホンを耳に突っ込んで新宿を歩く。


好きな曲はたくさんあるけれども、今日はこの曲の、最後の、あの曽我部さんの歌声が。
西新宿の片隅の、ビルとビルの間を響いて、舞って、まぶしい空にとけていった。

遠いエコーがそう毎日聴こえてるだろう
ビルとビルの間を響いては舞い上がる音


意味のない悲しい夜もぼくと一緒にいてくれるかい?
月日がたってもなにも変わらずいてくれるかい?


繰り返す悲しい夜も君が一緒にいてくれるなら
月日がたってもなにも変わらずいられるはずさ


パレードが行くよ


パレード/サニーデイ・サービス